地元大館市は大火の街だった   2024.1.21

連綿と残る不名誉な記録
1934年から1968年までの30数年間に、6回の大火に見舞われています。 累計消失家屋は2545棟。

1934年120棟
1953年130棟
1955年598棟
1956年1321棟
1962年86棟
1968年290棟(御成町一帯消失)


1968年御成町大火は生後ですが、筆者は東京の大学に入学して不在でした。

実家のすく近くまで類焼しましたが、当地は坂の途中でしたので類焼を免れました。 

延焼地域の友人宅は全て消失しました。


家のすぐ近くには親友の家があり、市内にもかかわらず馬小屋と蔵がありました。

 

親友はその馬(駄馬)に私を乗せてくれました。 

 

鞍もないので落ちないように、必死にたて髪をつかみました。 

 

そんな馬でしたが、馬は逃げられず火災で焼け死んだそうです。



近年、50数年ぶりに御成町一帯の区画整備が終わりました。 商店家屋は拡幅により解体移築され

両サイドとも広げられ、道路は拡幅され歩道には融雪装置が埋め込まれました。

50年かかったわけです。 これぞ、地元民の協力と市の対策が結実した結果です。


輪島の皆さん、当市は1300棟も焼けた過去があります。

石川県の行政諸氏、やればできます。 必ず復興出来ますよ。

過疎化が進む当市ではありますが、7回目の大火だけは何としても防ぎたいそんな思いが実行されました。

50年かかりました。

50年という歳月、決して短くはありません。 当時の人たちは既にこの世にいません。

しかし、防災計画の結果街は新たに残ったのです。 街は次世代に残してこそ歴史となります。


大館市は累計で2545棟まで失って尚、街は再生しています。 

石川県の行政担当諸君、未来はあなた達が作るものです。 時間がかかっても諦めず復興させて下さい。

輪島の朝市を復活させて下さい。 何十年かかろうとも。

それが行政の力であり仕事です。


 ※大館市消防本部資料より 昭和30年火災(1955年)598棟が消失。

※以下は大館市広報より引用
 

市政施行後の昭和28年4月29日に官庁街一帯、昭和30年5月3日に大館駅前、昭和31年8月18日に東大館駅前~中心商店街、昭和43年10月12日に御成町二丁目一帯を焼失する四度の大火がありました。その焼失面積は23万8千平方メートルに及び、膨大な損害を被りました。


 昭和30年(1955年) 大館市御成町一丁目大火跡  昭和31年(1956年) 大館大火 常盤木町上空から
   
昭和31年 (1956年)大館火災  昭和31年(1956年)復興の進む大町通り 
   
   

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