ニッコールH・Cオート28mmF3.5 2010.11.7
1960年3月に発売になった広角レンズを紹介しよう。 ニッコールオート28mmF3.5は1960年から、1974年にニューニッコールになるまで15年間の長期に渡り生産されたレンズである。 小生所有の個体は初期型ではなく、先端まで黒く塗られた後期型もものだ。恐らく1974年頃の製造と思われる。Ai28mm3.5をすでに所有しており、これは随分と悩んで探していたものである。 このニッコールオート28mmF3.5の設計者は伝説の人、脇本善司氏である。当然のことだが氏の設計がなければ、今のニッコール28mmはないと言っても過言ではないであろう。しかしてニコンF発売より1年遅れてニッコールオート28mmF3.5は発売になる。 その苦難の開発秘話は「ニッコール千夜一夜」に詳しいので参照されたい。 (資料ニコンより) 1974年ニューニッコール化に伴い28mmは7群7枚となり、開放値はF2.8と明るくなって発売される。最短撮影距離は60cmから30cmへと改善された。しかしニッコールオートがなくなった訳ではなく、新規のF2.8と併売されたのである。翌年28mmF3.5は最短撮影距離を30cmに短縮しニューニッコールとして併売される。そして1977年28mmF2.8と28mmF3.5は同時にAi化されて発売される。その後1981年に揃ってAi-Sとなる。時代はオートフォーカスになり、1986年28mmF2.8は5群5枚となりAF化して新発売された。しかしそこには28mmF3.5の姿はない。実に25年という長い生涯であった。 ここまで28mmF3.5が長く売られたのは何故であろうか。 F2.8に比べて価格が安かったこともあるだろうが、6群6枚構成のレンズは極めて優秀な写りであったことに起因するのではないかと小生は思っている。 最短撮影距離が60cmだったのは、それより短くすると画質が劣化したからに他ならない。レトロフォーカスタイプのレンズを完成した脇本氏は苦渋の選択をされたのであろう。最短撮影距離よりも画像のシャープさを選択したに違いない。小生はニッコール千夜一夜を繰り返し読んでそう思った。また氏は超解像レンズの設計に生涯を掛けた人としても知られる。やはり、ニコンはそういう使命を持った会社であったに違いない。 小生所有のAi28mmF3.5は同じレンズ枚数であるが、最短は近距離補正採用のの30cmの方である。最初の印象は、実はそれほどでもなかった。シャープにも感じるがそれほどでもない。個体差なのかなとも思ったが、どうも違うようである。購入して部屋のガラス越しに何枚か撮影したが、明らかにシャープに感じられたのである。これが脇本レンズなのかと思った瞬間であった。 小生は二週間後に入院を控えており、手術もする。安全が保証されているとはいえ、100%ではない。 入院前に、脇本氏設計の28mmF3.5がどうしても欲しかったのである。先人の思い入れのレンズが、力を貸してくれるだろう。そんな気がするのだ。 苦労という苦労ばかりの人生のはてに、辿り着いたのが手術であった。一生懸命生きてきた小生は、一生懸命に造られたカメラやレンズを携えて撮影に望む。それは、シャッターを一枚切るごとに苦労の数々か消えていく瞬間でもある。 そう、また戻って来なくてはならない。普遍の街を撮るために。 ははは余計な話であった。 以下お写真。
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