天体望遠鏡のすすめ 2010.11.14
レンズが好きなのは今に始まったわけではない。 思うに、カメラに興味を持つのが後で、先に来たのは望遠鏡であったと考える。 じゃわいじじいが望遠鏡を買ったのは1966年のことである。6センチの屈折望遠鏡であり、簡易赤道儀のついたものであった。 立派な木箱に入っており、観測にはいちいち組み立てなくてはならず結構面倒なものであった。使えば直ぐにばらして元通りに木箱に戻し、床に就く。 観測はほとんどが真冬であった。自分の部屋からは月ぐらいしか見えず、星座の観測は廊下の窓を開けて行った。 兎に角寒くて寒くて、震えながら観測をしたことを覚えている。何より好きなのはオリオン星座であり、星雲を眺めるのが常であった。他には火星や木星を良く観測した。当時読んでいた雑誌は、1965年創刊した誠文堂新光社の「天文ガイド」である。創刊時より大学入学まで欠かさず購読した。大学では地質学を専攻したが、本当は天文に興味があり天文台に勤めるのが夢であったと記憶している。 じじいの天文好きは父親にも少なからず影響を与えたようで、医者なのに学会で宇宙の講演をしたと聞いて驚いたことがある。同時に竹内均先生の著作本を送り付けてきたことがあり、これにも大変に驚いた。何故ならば、当時東大教授であった竹内均先生は地学の専門で有名であり、それがために地学の先生になろうとしていたからである。同じ人の本を読んで、同じように勉強していたわけだ。一生勉強、そんな父が言った言葉を今も忘れることはない。 当時の天体望遠鏡メーカーは、旭光学や日本光学、後藤光学などが有名であった。当然買えるわけもなく、アストロ光学の望遠鏡にした。 安価であり、すこぶる性能が良かったからである。接眼レンズは3個付いており、ハイゲンとミッテンゼー・ハイゲン、もうひとつはオルソスコピックであったと記憶している。8センチや10センチなどは学校用であり、とても手の届くものではなかった。なにしろレンズが好きであり、レンズ構成やら素材なりが凄く気になったものだ。15の春ならぬ16の春、多感な時代の青春はレンズで始まったと言っても過言ではない。この頃のことが今にも生きていて、レンズを考える時には必ずレンズ構成図を確かめる。これはもう嵯峨と言っても良い。 レンズは一度に沢山を研磨するが、調整は一枚ずつしなければならない。今もそうなのかは知らないが、基本は人間の感覚に委ねることが多いのもレンズだと思っている。世の中で最も優れた高性能の測定器は、じつは機械やコンピュータではなくて人間なのである。そう思っている。じつのところ演算が得意なのは機械であるが、複合処理は人間コンピュータには遠く及ばない。もっと言うと、量産化の差異を識別できるのは人間の特色でもある。機械は精度の範囲でしか仕事ができないのだ、これはこれから先もあまり変らないであろう。 天体望遠鏡とカメラ用レンズは似て非なるものである。天体望遠鏡は収差があると星が点に写らない。コマ収差や非点収差があると実用にならないと言っても良い。これはとても重要なことで、対物レンズは格段の厳しい研磨を要求される。よって、研磨する枚数は写真用レンズより格段に少ない枚数を研磨するのだ。 写真機レンズが最高と思っているようでは、勉強が足りないと言っても過言ではない。カメラ用のレンズで星を写すのはそういう面で、あまり賢いやり方ではないのだ。面倒で、もきちんと設計研磨された望遠鏡を使うのが相応しいと知るべきであろう。じゃわいじじいが天体写真を撮らなかったのは、そういう理由による。つまり、天文台のレベルの望遠鏡と個人用では価格もそうだが次元が違っていたのである。天体望遠鏡の性能は分解能で表すが、天文台レベルでは桁が違う。よって無駄な抵抗はやめて、もっぱら天文台の撮った写真を見るのが常であった。それで良いのである。 現在では、当時の光学メーカーはほとんど天体望遠鏡の生産を中止している。悲しいが現実である。 量販店で見られるのは、当時はなかったメーカーの製品ばかりである。天体望遠鏡は特に屈折式望遠鏡の場合、レンズが命である。よって、どのような工場で誰がどのように生産し、組み上げて検査しているかがとても重要になるであろう。 ビクセンでは、ニコンでレンズを設計したあの脇本善司氏が退社後に勤めており、アイピースの設計をしたと言われている。AVアイピ-ス、LVアイピ-ス、LVWアイピース、ズームアイピ-ス、DXバロ-、などを設計したそうである。(ビクセン資料による)現在では軽量化されてコストを下げたNLV、NVWが主である。当然ながら、脇本設計レンズは2万円以上の価格であり高価であった。接眼レンズだけで一個2万円超は堪える。やはり天体望遠鏡は半端ではない。 余談であるが、天体望遠鏡がガラスから(ガラスに銀メッキとか)パラボラに変ったときは本当にがっかりした。世も末だと思った。大望遠鏡の反射面のピカピカな鏡面で反射し、ちっちゃいアイピースで星を見る、そんな時代が終わりを告げていたのだ。 パロマ山の200インチ主鏡は巨大なガラスの固まりである。反射式なので、その真ん中に当然ながら穴が開く。そんなレンズ(鏡ね)で宇宙を見る。夢があった。もちろん今でも現役であるが、もうガラスは造られることはないだろう。電波に変ろうとしている、いや変ったのだ。 星を見る楽しさと厳しさは、体験して見なければわからない。星を見ると、自分の人生がどんなものなのか、多分見えてくるだろう。写真は撮るものだけれども、天体望遠鏡は見るものだと気付くかもしれない。カメラをしつえて天体を撮る前に、望遠鏡を担いで覗いてみることをすすめたい。きっと、あなたの写真に対する考え方やレンズに対する考え方が変ってくると思う。 レンズと言えば、双眼鏡の話もあるのだけれど、止めておく。 アストロ光学製 60mm簡易赤道儀ロイヤル R63 鏡筒は70cmと短い。 2枚合わせアクロマート、コーテッド。 さすがに造りはしっかりとしていて、 工作精度は良い。 1964年発売。 発売時価格:\24,000 つづくぞ。 |