オリンピック開催は人の心の闘争心を引き出す、したたかなエゴ 2021.7.18
恐るべきマインドコントロール
57年前の東京オリンピックも、当初は関心がなく反対や中止の意見もありました。 しかし、開催が近づくにつれ盛り上がりを見せ、国民はオリンピックに熱狂します。 何故だか分かりますか? それは至極簡単なことなんです。 人の心の闘争心(=狩猟本能)がオリンピックによって引き出されたからなのです。 理性という平常心が、打ち砕かれてしまったのです。 今回もそうなりますよ。 人間は本来狩猟の生き物、闘争心は本来持っている生き物なのです。 狩猟で負けは、死を意味しますからね。 愚かだけど、その闘争心をスポーツは煽ります。 政府が言う、始まれば全てオーケーになると言う目論見はそれに起因します。 勝ち負けのスポーツは、賭博同様人々を熱狂させます。 例えコロナ下でも、緊急事態宣言下でも、医療崩壊が起きてもそれは止められないと思います。 理性を失った国民を見透かすように、政府は行動するでしょう。 してやったり、と言うのが算段なのです。 住んでる世界が違えば、考え方はまるで違います。 政府の要人やら組織委員会の人間が、国民と同じ考え方なんてあり得ません。 根が深いのですよ。 赤ん坊は、こぶしを握りしめて生まれてきます。 それが、希望だとも、欲だとも言われています。 握ったものは離さない。 手に入れたものは離さないぞと言う、強い強ーい意志がそこにあると言われます。 赤ん坊は両手に握ったキャンデイを、どちらも手放すことなく両方交互に舐めます。 このしたたかさこそが、人間なのです。 スポーツは、そのしたたかさやら 競争心を呼び起こします。 獲物を得た達成感、満足感が次なる行動への原動力となります。 野蛮で原始的なことですが、それが社会を作っています。 競争こそが、生き残る術なのです。 ですから、オリンピック開催は人の心の闘争心を煽ります。 あれだけ騒いだのに、、、と言う事態は必ずやってきます。 愚かなりし我が心と言う歌もありますよ。 ああ、無常。 そう、人の心は鬼のように冷たいのです。 数十年もたてば、この愚かな出来事が記録となり、我々の時代は揶揄されることでしょう。 スポーツをする人たちは、ゆめゆめ思い違いされないように。 津波や豪雨で家や人を失った人たちが、日常を取り戻すのには何十年も掛かるかも知れません。 コロナはそのうちに終息すると高を括っていたら、10年経っても元の日常に戻れないと言うことがあるやも知れません。 職を失い以前の様に暮らすことが出来なくなる、そんな日が続くかも知れません。 高を括るのは止めましょう。 失ったら、終わりなのですよ。 日本が金メダルラッシュにでもなれば、皆忘れると言う輩もいますね。 批判の矛先を変える発言だと思います。 そうなるのは、熱しやすく冷めやすい日本人の特性ですから致し方ありません。 しかし、それとコロナとは全く関係がありません。 手を打たなければ、コロナは死なないのですよ。 後悔は先に立たずと言います。 コロナとの戦争に打ち勝つには、オリンピック開催してはいけない。 コロナ感染情報簡易データ
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