人類はいつか地球を離れなければいけません。 それは、避けることのできない事実だと考えられます。
差し当たって、今すぐにという分ではありません。 1億年後には地球に住めなくなるらしいですが、人類の危機はもっと早く訪れるでしょう。
それは100年先かも1000年先かも知れません。 意外と早く危機が訪れることを想定して、縦鼻をする必要があると思います。
その準備は1年10年と言う概念ではなく、100年や1000年と言う単位の概念になるでしょう。
先ずは、一番近い太陽系内の火星を目指します。 これは実に真っ当な考え方です。 実際、そうなるでしょう。
しかし、火星も遅かれ早かれ太陽の膨張でいつかは住めなくなります。 火星も離れる必要があるのです。
それまでは、少なくとも数万年は大丈夫かも知れません。 火星までは距離がありますので、地球が熱くなるほどに、火星は以前の地球のように
豊かで温暖になるかも知れません。 大気も幾ばくか増加し水と緑も少しは存在できるかも知れません。
とは言えど宇宙的にはほんの一瞬の時間になりますから、何れにせよ火星は去らなければいけません。
太陽系には地球型の岩石型惑星はほとんどありませんから、太陽系外の惑星を目指さなければいけません。
ここで、全ての可能性が否定されるパラドックスに気づきました。 結論から言うと、人類は隣りの星(=惑星系)に辿り着けません。
と言うよりも、向かうことは無くなります。 行かないのです、何故でしょうか。
それは、無意味なことだからです。 数万年も旅をする意味がないのです。 人類が地球を捨て、火星を捨てる。
その時代であっても、数万年後であっても光速に近い速度の宇宙船は建造不可能だと考えています。 どんなに進歩してもです。
ですから数万年や数十万年に及ぶ宇宙の移動は、行先のない旅行になります。 その数万年から数十万年に耐える体と形は、
宇宙空間に存在するには不向きなのです。 もはや、重力系の惑星に降り立つ意味もなく、それさえも出来ない生命体に化しているはずです。
そうであるならば、地球外惑星を探す意味はありません。 生存できないのに探すも行くも、あり得ません。
宇宙で数万年それ以上漂うには、そこに順応した生命体ですから他に行くという選択肢は消え去る事でしょう。
井の中の蛙大海を知らず。 カエルは井戸の中で一生を終えても、疑問はないでしょう。 不幸ではなく。それはそれで幸せなのだと思います。
人類は不幸(=危機)を」逃れるために太陽系を出ましたが、先に何があるかも知れない世界です。
幸福を得るのには、あまりにも時間がかかりすぎます。 宇宙空間に留まって漂うのは、井の中の蛙と同じではないかと。
新たな惑星を探すことが、幸せだとは言えないのです。 自ら危険に立ち向かうのは、もとより目的ではありません。
人類の存続のために、無意味な行動は選択されるべきではありません。
そう考えると、異星人が地球jを目指さないのも理解できます。 宇宙では、すべからく同じような過程を踏むと思われますから
高度な知能を持つ地球外生命体は存在するでしょう。 同じようにその異星人が考えたなら、地球に来るのは意味がないと知るでしょう。
つまり双方とも、どちらも巡りあう事はありません。 互いに、宇宙の中では我々だけと思う事でしょう。
人間が人間らしくあり続けるのは、非常に困難です。 せいぜい数万年、火星まででしょう。
人類が、プロキシマケンタウリに行くことはありません。
これが、気づいたパラドックスです。
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