東京写真PLUS ピアノ編
何気にラフマニノフ 2019.4.27
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外出していて、駐車場で聞いたのが「題名のない音楽会」。 若手のピアニストの共演。 そこで演奏されたのがラフマニノフのピアノ協奏曲第二番。 演奏中、ずーっと手元を見ていて・・・感じたこと。 スケールが多いな。 指(手)がほとんどというか全く動かないな。 オクターブのままだな。 ということ・・・(>_<)。 ええっ! これってもしかしたら単純な曲のバリエーションの繰り返しなのじゃ。。。と思いました。 そんでもって、本屋さんに行って楽譜を見てみました・・・(^^♪。 予想通りでしたね。 こういうテンポの激しい曲は音符が多いはずの王道。 裏を返せば、ただそれだけ・・・(-_-;)。 こういう音符の上がり下がりと、櫛団子の羅列は・・・すっごく苦手です。 ついて行かれません。 取り敢えず買うのはやめました・・・(*^^*)。 こういう神経の磨り減るような曲は、老い先短い者はやるべからずですね。 まあ、2歳や3歳から毎日やれば身に沁みつくのだろうなあと思います。 50や60から始めたのでは、20年という月日でも同じにはなりませんよね。 5歳から始めて25歳と、65歳から始めて85歳・・・同じレベルになるとはだれも思わないはず・・・。 人生の経験が多いほど、音楽の情報が入る 隙間は少なくなると思います。 人生80%音楽20%・・・人生が勝る。 音楽80%人生20%・・・音楽が勝る。 水は低い方に流れます。 そんなわけで、我々ロートルはこのような大曲は知識にとどめておくのが幸せというものでしょうな・・・(-_-;)。 なるほど、ピアノというものはクラシックに始まりクラシックに終わる・・・わかる気がします。 ピアノの先生がクラシックに傾倒するのも分かります。 せっかく日本にピアノが伝わったのだから、日本人としては何をなすべきか・・・つくづく考えさせられます。 ラフマニノフやショパン、はたまたベートーヴェンが良いのか。 ピアノならばショパンやリストが良いのだろうか。 2番じゃダメなんですか・・・って誰かが言ったような気が・・・(>_<)。 滝廉太郎やイルカや荒井由実じゃダメなんだろうか。 バッハやベートーヴェンの時代は日本では江戸時代なんですね。 間違っても安土桃山時代や平安時代ではありません・・・。 日本に初めてピアノが来たのは1823年とされています。 シーボルトが持ってきたそうです・・・。 196年前なんですね・・・。 ピアノはチェンバロの派生品ですから、歴史としては400年程度でしょうか・・・。 まさに江戸時代・・・(*^^*)。 西洋の楽器が入ってくることによって、日本の音楽は変革を遂げていきます。 楽器の違いの違いにより旋律が異なっていくのですね。 ですから、根本的に日本の音楽・・・日本のクラシックは、西洋の音楽・・・クラシックと相いれません。 違うのが自然なのです。 ラフマニノフが生まれたのは1873年、明治6年ですね。 滝廉太郎が生まれたのは明治12年。 23歳で亡くなっていますから、ラフマニノフは その当時29歳ということになります。 滝廉太郎が優秀なピアニストであったことは、あまり知られていません・・・(-_-;)。 ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番は1900年ごろの作品です・・・27歳ですね。 滝廉太郎や山田耕作、日本人ならば誰でもが通る道ではないでしょうか。 ラフマニノフもそんな時代に生きたのです。 当秋田県にも音楽家はいまして、成田 為三がその人ですね。 明治26年生まれです。 恐らく誰もが知っている曲「浜辺の歌」を作曲しました。
音の少ないのが日本の音楽。 その少ない音に揺らぎがあります。 聞けば聞くほど心に染み入るのではないでしょうか。 この浜辺の歌、もちろん簡単なアレンジもありますが、左手の音が非常に重要ですね。 流れるように、彷徨うがごとくに・・・。 響きがとても大事な曲です。 ラフマニノフ? いや、成田為三でした・・・(^^♪。 |