東京写真PLUS ピアノ編
完奏にこだわって見失うもの 2019.8.29
幕の内弁当があって、お茶碗にご飯が盛られて・・・。 お米は、色々なところで食されます。 ぎっしり敷き詰められたご飯も、お米一粒一粒の集まりでしかありません。 10センチの大きさのお米はなく、形は多少異なれどお米はお米なのですね。 米粒一粒では、幕の内弁当は出来ません。 また、茶碗に一粒でもご飯になりません・・・。 これを、全てピアノに置き換えましょう。 お米だけのご飯は単調で、人はそれだけでは生きられない。 野菜や肉などが添えられて、ご飯は 完成しますね。 ピアノでいう事の完奏です。 形が出来ても、誰もが幕の内弁当を好きな訳ではありません。 嫌いなものは食べ残します。 でも、完食ってそんなに大切ですか? その幕の内弁当って、お仕着せと違いますか・・・(>_<)。 体にいいから全部食べなさいとか、もったいないから 残さないようにって・・・勝手じゃないですか・・・(-_-;)。 だから、好きなものしか作らないし、好きなものしか買わないのと違いますか? 音符をお米に例えましょう。 一曲全部がお米でも、1ページでも・・・お米の姿が変わることは決してありません。 お米は秋になり収穫されますが、収穫は一時です。 苗から植えて、いや苗を植える前の田の整備から初めて稲穂が実るまで 何か月もの月日が流れます。 一粒のお米は、自然と人の思いによって作り出されます。 その過程こそが、お米の生きてた証であり生きざまなのです。 幕の内弁当になろうが、ご飯で食卓に上ろうが・・・小さな事です。 ピアニストには、音楽を伝える使命があります。 ですから、完奏はどうしても必要です。 継承する物ですから。 ピアニストになるのでなければ、もっと違ったピアノがあるはず・・・(^^♪。 板チョコは、ちょっとかじっても板チョコ。 全部食べなくてもチョコには変わりありません。 「あははは、何言ってんねん。 ちょこっとかじっても板チョコ? あーそうかい、ピアノのはじかじったら曲弾けたことになるんかい。」 「そうじゃなくて・・・。」 「だいたいなあ、ピアノは好きでやってんねん。 何? 幕の内? ピアノは幕の内弁当やあらへんで、音楽や音楽!あほっ。」 「例えただけです」 「例えんでもわかっとるわい。 なんやコメ? じゃ、パンの人はどうすんねん、あほっ。」 「いや、和食です・・・あっ、違った(;´Д`)」 「おまえなあ、ピアノも弾けないくせによう言うわ。 そんな寝言はなあ百年早いで。 何が完奏や、誰でも完奏目指すの当たり前やん。」 「完奏にこだわると、見るべきものが見えなくなるのです」 「はーっ、見えなくなる? 白内障にでもなるんかいな、タコっ。目でも潰れるんかいな。」 「いや、そうじゃなくて例えです(>_<)。」 「だいたいなあ、ピアノも弾けん奴があほらしいで、ピアノはなあ、習ろうて覚えるもんや。 いいな、独学だって? ちゃんちゃらおかしい。」 「勝手じゃないですか、くそおやじ」 「何っ、言ったなこいつ(; ・`д・´)」 「うっせー、くそおやじ(; ・`д・´)」
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