東京写真PLUS ピアノ編
大人のピアノ習得に対する考え方その2 2019.12.23
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前回の記事に異議を申し立てる人は多いと思います。 ピアノは習うものではないと、否定するものだからです。 ピアノは習わなければ弾くことは出来ない、 そんな生易しい物ではない。 だからこそ子供の頃から習わせるのだと。 いやいや子供でなくても、あの鍵盤の十指に余る楽器をどう弾きこなすのだと。 他の楽器は十本指で事足りる、しかしてピアノは88も鍵盤があるし、ペダルだってある。 これをどうして、一人で習得できると言うのかと。 まあ、理屈はそうです。 [ピアノ学習の掟・・・。] 順序ありきで、先ずピアノが操れるようになったなら、何でも弾けますよお好きな曲はなんでもござれですよと。 そのためには学習が必要なのですよ、いきなりあなた大学には入れないでしょと。 考えてみなさい、学校はそのために学年があり成長に沿って 教えるじゃないですかと。 ピアノを弾くには楽譜が必要ですよ、それには色々な決まりごとが書いてあって、それを知らなければ躓きますよ、学ばないと あなたが思うように弾けないのですよと。 ピアノはそんな簡単なものじゃありません、弾けるといえるようになるにはこんな曲でも何年も、 もうこんな曲なら十年も、これなら数十年もかかるのですよと。 さもありなん。 全て正論です。 [習うのは手段でしかない・・・。] それって、全てピアノが弾けるようになるためのお話ですよね。 事故らないための運転ですよね。 ピアノは走らないから、人畜無害で免許はいりませんね。 運転って、なんのためにするのでしょう。 運転のための運転もありますね、確かに。 しかし、運転することは目的達成のための手段でしかありません。 ピアノを習うということは、どういうことでしょうか。 習えば弾けるようになる・・・って、そんな魔法はないと思います。 ブロックの積み重ねのような作業ですね。 弾ける弾けないは、一重に習う人のスタンスにかかっていると思います。 大人は大人だけに、取扱注意が必要。 素直じゃないし、楽をしたがります。 人生で苦労というものを知っているだけに、できれば楽をしたいと言う本音です。 そもそも大人がピアノを習おうと考えるのは、習うと弾けるようになると大きな勘違いをしていることにあるのです。 医者と患者の関係。 医者は色々やりますが、直すのは本人の力なのです。 ピアノもしかり、習いに行ったら先生が全て教えてくれて あっという間に弾けるようになった・・・なんて夢を見ないでください。 ピアノの先生はあなたのピアノなんて弾けませんよ、 あなたが向かっているピアノはあなたが弾くのです。 [鉄は熱いうちに打て・・・なのに。] 大人がピアノを弾く目的は、前回に述べました。 技術の習得でもなく上手な演奏でもなく、ましてピアニストでもありません。 好きな曲を弾けるようになるのに十年も待てないのです。 カップ麺のように、即弾きたいのです。 そうじゃないと冷めてしまうのです。 何より怖いのは、冷めてしまうことなのです。 心の中に灯った情熱は、冷めないうちに心に残したいのです。 冷めないために必要なことは、ただ一つ。 冷めないうちに食べること・・・ですね。 冷めて伸び切ってしまったのでは、なんだかなあと言うことになります。 ピアノを全然知らなくっても、音楽を全く知らなくっても、何が自分には必要なのか、何がしたいのかはよく知っているのです。 [ピアノの門をたたく・・・しかし。] そして、その目的達成のために戸を叩きます。 とても勇気のある行為なのです。 ここで辛辣な意見を・・・。 習いに行ってるのに、子供や年少の者より上達しないと言うことがあるかと思います。 若い人は物覚えが早いからとか、 自分は子供の時からやってないしとか、そう思うことありませんか。 もし、数年も通って本当に上達が感じられないのなら、それは習い方もまた教え方も 間違っていると思います。 成績の上がらない予備校は、無駄以外の何物でもありません。投資するだけ無駄と言うことにもなります。 まあ、通っているから色んなことがある、とか言うのは結果論ですね。逃げ以外の何物でもありません。 習いに行ったら、必ず何かを掴んで帰ってくる。 教える側は、何かを掴んだのかそれをしっかり確かめる。 お金を払うこと、もらうことはそう言うことです。 予習や復習を指示してはいけません。 教える側が教えなくてどうする、と言う倫理ですね。 ですから、本気ならば30分や40分など 有り得ません。 小一時間で何ができるのか、いや出来たなら習いに来ないのです。 教える側はそれを知り尽くしています。 正に、天秤なのです。 [大人に教えるのはピアノを弾くより難しい・・・。] 何にしろ、教えることは非常に難しいです。 人は十人十色全て目的も違いますし、性格も違います、環境も違います。 それをすべて把握しなければ、 子供なら教えられても大人には教えられないのです。 人間関係が無いのに教えられるのは、学校位です。 それは学生だから。 大人は教える立場や場所からすれば生徒扱いですが、とんでもないことです。 そう言う区別だと、大人にそっぽ向かれますね。 大人の場合は、少なくとも子供の一週間分くらいの時間が一回に必要です。 記憶は三日で三割しか残りませんから、三日毎つまり週三回6時間程度の 練習が必要になります。 そうしないと、冷めてしまいます。そう、ピアノを弾く目的が水のように冷めてしまうのです。 そんなことは、営利目的の教室では無理ですから、大人は集まりません。 無理だということは、大人ならすべて理解しています。 自分が十年二十年かけてやって来たことを、僅かな時間で伝えることの無意味を知るべきです。 教えることは、本当に習うよりも難しい・・・。 [有り余る知識が邪魔になる・・・。] ボトルネックが常に存在します。 先生の知識や技術は大きなボトルに入っています・・・。 しかし、どんなに勢い良く振ってもネックの細さが故に 流れてこないのです。 つまり、伝わらない。 教える側のジレンマであり、物の道理なのです。 それではどうするのか・・・。 瓶が太ければ大きければボトルネックは大きくなります・・・。 そうです、瓶を細くするのです。それでボトルネックが減少します。 スムースな流れになり、 相手に伝わるのです。 大事なのは瓶を細くすることで、口を広げることではありません。 口を広げると、流れに負けて溺れてしまいます。 大人が置かれている現状を良く理解し、子供のように目線を下げることがとても大切なのです。 ピアニストである自分を横に置いておいて、一人の大人、習おうとしている大人の気持ちまで踏み込むことが重要です。 そこから始めて、大人のピアノの習得の一歩が始まります。 とても面倒な、ピアニストのプライドを無視する行動になります。 習得は共感。 教官ではありません。 共感できるか否かです。 そのたった二文字が、大人のピアノを大きく変えていきます。 [大人のピアノの要求は半端ない・・・。] 教えられる側が望むこと、それはやさしく分かりやすいことです。 口で言うと簡単ですが、教える側にとっては、ほぼ無理難題なのです。 もともと面倒くさくて複雑なものを、どうしてやさしくできるのかと言う事がまずあります。 三十手数あるのを一手や二手にしろと言う事になります。 正に無理難題なのです。 出来ないことを言ってくるのが、大人のピアノの常なのです。 分かりやすいも同じです。 そもそも、分かりにくいから聞くわけで どこまで砕けば分かるのかが非常に曖昧なのです。 ピアニストは何も考えずとも出来るのが当たり前なので、それを崩して分解してなおかつまとめると言うのは 地獄の要求になります。 でも心配はいりません、先生はすんなりと答えてくれます。 |