東京写真オーディオスペシャルピアノ編
テレビのピアノ王座決定戦は良く見ています。 まあ、どんなに頑張ってもあのように弾けるようにはならないと思います。確かに天才であり、超絶テクニックです。 いかに、間違いなく弾けるかが第一です。よって、選曲は難易度の高い曲ばかり。しかも早い曲ばかり。 よって、聴いていて楽しい曲は全く出てきません。早い話が「うるさい曲」「やかましい曲」ばかりなのですね・・・。 聴くものは、あっけにとられるような超絶技巧なのです。よく間違えないな・・・、が感想のひとつであり、よく覚えられるなあが 感想の二つ目です。そして、とにかく早い。早くて間違いがない・・・、まあ言うことなしのピアノなのです。 普通に弾いたら凄いだろうなと、つくづく思います。つまり、逆に言えばただそれだけの番組です。もしかしたら、もっと正確に弾き切る人は他にいくらでもいるかも知れませんね。そう思えてならないのです。無駄に多いスケール。無駄に多い飛躍。無駄に多い重音。 どれもが、やかましさを助長するアレンジですね。素人には驚く演奏でも、履歴を聞くとさもありなんと納得してしまいます。 ピアノに向かっている時間が、圧倒的に長いのです。ある意味、弾けて当たり前なのです。 弾けない人は、絶対的に練習が足りません。違いはそれだけです。つくづくそう思いました。 天才と言いましたが、実は天才なんかではなく、物凄い努力家なのです。天才は練習を必要としません。 残念ながら、年を取ると全てがダメになります。脳細胞が反応しなくなるのです。 一度で覚える事は不可能で、何度も何度も同じ間違いを繰り返します。この時点で、正確な打鍵の保証は全くなくなり、 スケールは見事にスケールアウトするのです。 外れることは最初から終わりまで、変調づくしの打鍵が主流になるのです。おまけに、神経系統の遅延により高速打鍵は夢の彼方 朦朧打鍵の連打、遅延打鍵の乱打となるのです。 ですから、ピアノ王座決定戦のような目にもとまらぬ高速打鍵など夢の又夢以外の何物でもありません。 周回遅れになるのです。年寄りに練習は無意味かも知れません、いや無駄ですガンバコが近いのです。 焦らないとイケナイのです。 |