ピアノ東京写真PLUS ピアノ編

あやつり人形    2020.1.10

№461

あやつり人形・・・。 いえいえ、曲のことではありません。 ピアノです。


ピアノを弾くと言う事は、左右で別の物を奏でるという意味でとても難しい行為です。 ピアノを始めて面食らうのは、余りにもすることが多いと言う事。

曲がどうのこうの言う以前に、先ず正しく鍵盤が押されなければなりません。 上と下はつまり左右は、全く違う音符を辿らなければなりません。

楽譜には色々な調号やら記号があり、その指示通りに指を動かさなければいけません。 おまけに、重音ですねあれもこれも押さえないと・・・。

短音で済むところを、装飾します重ねます・・・。おーっ、重厚な響きだとか、ムムム、繊細な響きだとか・・・。あーっ、消え入るような余韻だとか・・・。

あーっ、本当に面倒臭い・・・(>_<)。


楽譜通り弾けたら何だというのさ。 えっ?・・・音楽にならないって。 あーっ、そうかもね確かに。

弾くのは確かに自分だけど、誰かにあやつられているような気がしませんか・・・?  そこ、違うでしょうとか・・・(>_<)。 大きなお世話のような・・・(-_-;)。

ちっちゃなパーツをコツコツと積み上げて、はいっ出来ました、完成です・・・って。 何だか違う気がする・・・(>_<)。

そんな面倒臭いピアノの曲の取り組み方、いつも疑問に思っています。  正論でいえば、練習なのだけど。 弾けない所を弾けるまでやるって、

凄く時間の無駄だと思う。 弾けない所はピアノを続けていれば、必ず弾けるようになるはずだから・・・(*^^*)。

世の中には、振り返ると「絶対にできないな」と思った事が出来てしまうのは、当然のようにありますよね。

逆もまた真なりだと思います。


教えられると言う事は、人前でそこそこ弾いて聞かせられると言う事なのでしょうか。 楽譜通りに弾けて、曲になれば完成・・・。

それは「優・良・可」の「可」のような感じがします。 そんなの誰も求めていないと、心底思います。 本音で望むのは「優」なのです・・・(>_<)。

残念ながら、「優」になる方法は教えてはくれません。 基準が違いすぎるのですね・・・。


ピアノの前に座り楽譜を開き、弾き始めます。

いったい誰の為に弾いているのでしょう。 それを操るのは誰・・・?

ピアノ?  楽譜?  それとも曲?  そのどれもが、操るすべを持っています・・・。

でも、ピアノが望んでいるのは、


貴方が操ること。

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