ピアノ東京写真PLUS ピアノ編

立て板に水の如し      2020.3.21
 
№498



立て板に水とは、その通りに立てた板に水を掛けると何の抵抗もなく下に流れることを言います。 こちらに引っ越してきて二年弱、

他の事をする時間が多く、あまりテレビ特に民放のバラエティ番組などは見なくなりました。 たまに見ても、その立て板に水の如き喋りに

圧倒されてしまいます。 何という早口なのか・・・(>_<)。  つい五年前までは都心に勤めていましたけど、こうまでべらんめえ口調だったとは

気が付きませんでした。 疲れるのもそうですが、何を話しているのか全てが聞き取れません。 その理由は確かに存在していて、

兎に角自分の意見発言を言い通したいと言う心理が働くものと思います。 先ず、自分が何としても意見を喋り通したいという事ではないかと・・・。


NHKでこう言う事は先ずありません。 何故ならば、一分間に喋る語数が決められているのだそう。 さもありなん。

都会では、何か話そうとすると横やりが入りますね。 そういう輩は兎に角喋り捲る。 ですから、喋りのレースみたいになってしまうのです。


何が言いたいのか。 そうです、ピアノです。 これも全く同じではありませんか。 流ちょうに弾く、早く弾く流れるように弾く、その速さたるや

ミサイルの如し(違ったかな)。 いやいや、そういう演奏って疲れるのです。 演奏するのがじゃなくって、聞く方がです。


滑らかに、止まることなく弾くのは結構なのですが、本来あるべきものがごそっと抜けてしまったりします。 味なんですね。 味が付かないのです。

味のない演奏は、どうでしょう。 楽譜通りならばそれもそうかもしれませんが、味は休符のように、あって無いものだと思います。

それをくみ取らない演奏は、悲しいのです。 虚しいのです。 そして、うるさくもあります。 下手なピアノだけがうるさいのでは、決してありません。


楽曲には速度が指定してありますが、額面通りにとらえる必要はないと考えます。 あくまでも参考値だと思うのです。


ピアノは、本当に難しい。



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