ピアノ東京写真PLUS ピアノ編

  能登半島から北海道へその2  2024.2.16
     
 

 №707


津軽海峡冬景色と能登半島は、続きになる曲だと考えます。

 

東京から北海道に帰った女性が、一通の旅の葉書を受け取りその地に向かうと言う

 

シチュエーションです。

 

火のない所に煙は立たぬと言う言葉通り、全く根拠のないことは成立しないのが

 

この世の中です。 作詞家阿久悠はこの楽曲を作るにあたり、数多の事例や経験から

 

歌を見出したと考えます。 夢やうつつでは、人の心に響くことも共感を得ることも

 

出来ません。 事実として捉えられる、それが歌の言葉なのです。

 

 

津軽海峡冬景色では、上野から夜行列車で北海道に向かう女性が描かれています。

 

能登半島では「19半ばの恋知らず」とありますから、この女性は19半ばで故郷に

 

帰ったと思われます。 北海道には札幌と言う大都市がありますから、この女性は

 

北海道で勤めることはなく東京にて就職したのでしょう。

 

 

1960年代や1970年代は、東北や北海道ではまだまだ大学への進学率は低く

 

多くは高校を出て働いた時代でした。 大手の会社は人を必要として、人材を

 

東北や北海道に依存していました。

 

 

北海道ですから中卒と言うことはあり得ません、高卒と考えるのが妥当でしょう。

 

そうならば、2年半で仕事をや辞め東京を後にしたと言うことでしょう。

 

「19半ばで恋を知り」とありますから、会社を辞めて国に帰るのは、

 

恋の別れだったのかも知れません。 

 

 

津軽海峡冬景色では、「さよならあなた私は帰ります」とあります。

 

郷里に葉書が届くぐらいなので、止むを得ない理由の別れだったのでしょう。

 

「こごえそうな鷗見つめ泣いていました」と自身に鷗を映しています。

 

 

人生には大きな転機が何度も訪れます。それが人の別れであり恋の終わりであることは、

 

多かったと思います。

 

東京は各地から人が集まります、それは今も昔も変わることはありません。

 

それぞれには故郷があり、数多の事情があります。

 

恋は偶然であり、また別れは必然でもありました。

 

 

当時を鑑みるに、男性は留まる留まらずにかかわらず東京に出て来ました。

 

大学の4年間を終えれば、就職せず故郷に帰ると言うことも極々普通でした。

 

ここに恋が芽生えれば、結末はいつの時も悲惨です。

 

男性が家を継ぐのであれば、留まることは出来ないでしょう。

 

そんな悲恋は、この時代の象徴でもありました。

 

 

能登半島では「ここにいると旅の葉書」とありますから、

 

男性は一人旅の途中だったのでしょう。

 

その葉書が、女性の心を動かしました。

 

 

特急日本海は夜明け前富山を過ぎる頃

 

「夜明け間近か北の海は波も荒く」白々と夜が明けてきます。

 

「通り過ぎる景色ばかり見つめていた」

 

見つめていたのは、今までの自分だったのかも知れません。

 

 それほどあなたのいない暮らしは、

 

「ためいきつく」ほどに虚しいものだった。

 

 

やがて特急日本海は金沢駅に着き、女性は男性の待つ能登半島へと向かいます。

 

長い長い旅が、もうじき終わります。

 

 

 

BACK