東京写真PLUS ピアノ編
ニューギニア戦線に散った上原敏 | 2024.8.16 | ||
№732
上原敏(1908-1944)は、戦前の流行歌手です。
数々の名曲を残して、1994年ニューギニア戦線に散りました。
2024年は、没後80周年になります。
上原敏は慰問などもしていて有名でしたが、招集は免除されず秋田に入営しました。
その後自ら希望しニューギニア戦線に行き戦死した訳ですが、
招集は本名の松本力治で来ており、上原敏と気付かなかった県側のミスとされています。
極戦の地ニューギニアで上原は持ち歌を披露し、多くの兵士の涙を誘ったそうです。
歌で兵士を励ましたい、数多くの慰問を行った使命感たる思いが
ニューギニア戦線に向かわせたのかも知れません。
36歳とあまりにも早く亡くなったため、上原敏を知る人は本当に少なくなりました。
大館市の桂城公園には、上原敏の顕彰碑が建てられています。
大館市には、上原敏の生家が今もお店を構え営業しています。
荒物・油問屋のネリヤ(天保8年創業)大館市大町がそれであり、
本家の練屋菓子舗(昭和2年創業)大館市泉町は
「練屋バナナ」で大館を代表するお菓子として有名です。
ネリヤのネリは油を練る鬢付け油から来ており、城下町である大館は
杉細工の接着や鬢付けなど多くの用途があったようです。
1938年、上原敏は鴛鴦道中(おしどりどうちゅう)を青葉笙子(あおばしょうこ)と
吹き込み、大ヒットしました。
その縁もあり青葉は、生涯上原敏の顕彰活動に尽力を注ぎました。
7月29日は上原敏の死亡した日とされており、
大館市桂城公園で80周年の流転忌が営まれました。 ※ ニューギニア戦線は最も過酷で悲惨な戦場で、日本兵15万人のうち生存したのは
1万5千人とされます。 現在の我が国の安泰は、この人たちの犠牲の上に立っていること
を決して忘れてはいけません。
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