カメラマンの戯言 2009.5.31

仕事で写真を撮るのは気の毒だと思う。
生業として写真を撮るのは嫌だと思う。

それは写真を撮ると言う事は全く楽しい事なんかではないと思うし、何よりこんな退屈で面白くもない作業
大変な思いをして行わなければならないからデス。

それに比べればシロウートは楽チンだ。ノルマもなければ責任だって全くない。
しかし、そんな楽チンなはずの写真が実は楽チンには撮れないと言う不思議がある。

ならば写真は楽しいかと言えば、実は全く持って楽しくはない。
写真なんて難しくて、納得の行く写真が撮れたなんて思うのは何十年やってても数えるほどもない。
いや、全くないのだったりする。

いい写真が撮れないのはカメラがイマイチなので、プロが使っているカメラはいいなあカメラがいいから良く撮れる、
なんて
とんでもないこじつけをつけて高級カメラを買おうとする。
知らない内に時が過ぎ、気がつけばそこそこ高性能のカメラを買ってたりする。
でもやっぱり大した事なくて、35ミリでは描写が悪いのが問題で中判にしなければダメだよとか言い出す。
よせばいいのに無理して手に入れてみたものの、重いとか機動力がないとか言って終にもてあます。

写真を多く撮る。一枚ぐらい当たるかもいやいや当たりません当たりません当たりません。
暇をもてあまさないように撮りますせっせと撮ります。
みろー、何と私は生涯にこれだけの時間をかけてこれだけの労力を費やして
これだけのフイルムを消費したのだあ。撮った写真は、ん万枚だあ。

言える事は、作品は機材に依存しないと言う事でしょうか。
また、どれだけ年数を重ねても上達すると言うものでもありません。
30年やっても40年やっても腕が良くなる事はありません。妄想です。
なぜなら、写真はカメラが写すものであって人が写すものでは決してないからです。
人がするのはさせられるという行為、ただそれだけです。
これは写真である限り永久不滅のことであり、逃れられません。

ですから、
良い写真なんて、最初から存在しないのです。
そして、優れた写真家もまた然りです。
あなたは撮らされたのです。シャッターを押さされただけなのです。ただただ、それだけなのです。

人は、烏合の衆。

シャッターの数は無知の証を知りましょう。押した数だけ無知を知りましょう。
一度押しただけで完成しないのなら、
修行が足りません。

そう、言ってませんか。
ははは、カメラは寡黙だからなあ。


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