うんまい写真の撮り方   2009.6.20

本当にためになる本当の作品の撮り方


うんまい(=上手)写真の撮り方。

じつはtokyoは自称未曾有の大天才写真家なので全く考えたことはない。あはははほんとです。

何度も言っているけど
写真は撮らされるものであって撮るものではありません。
だもんでハナから上手い下手が存在しないと最近気が付いたのです。遅かったなあ。

ほれあんた
あんたの写真だって良いと思って撮ったんでしょうが。シャッター押しただけねつまりは。
出来上がりが良さそうなのは場所が良かったのです。シチュエーションとも言いますな。
それが当たったのです。
外れればコノヤローなのです。

あっちみてこっちみてキョロキョロするのはみっともないです。
なんぼ見てもたいして変らんのです。首の運動ぐらいにしかなりません。

それで
二言目には構図ですか。構図って何ですかめんどうだなあ、、、、、やってられないよ。
美術ができへんで今頃になって構図うんぬんはつらいですなあ。
やめましょムダだから。

なになに写真がぼけてる。それまちがいです。ぼけるのは人間なんかであって写真はぼけません。
アウトフォーカスなんてカッコよく呼びましょうね。
tokyoはできたんだけどふつう人間の目って不随意筋でぼけないんです。あtokyoは随分前まで自由に
コントロールできましたよ。余計なことだけど。
つまりぼけは写真の醍醐味なんです。

ありゃりゃまわりに余計なものが写っちゃったなんてあなた多すぎ。だからってボツにしてませんか。
それではプロと同じです。ボツにしなくてもちっとも困らないのが我々自由人なのです。
これってすごーく価値のあることなんです。

だからってそんな写真をコンテストに応募しても落ちますよ。基準が違うんだから。

がじじじじじがじじじじなんて連写してませんか。あひゃひゃひゃフイルムじゃできねえんだよあははは。
おんなじようなのがいっぱい写っていてあはははすんげーなんて思っちゃだめです。
ぽこちゃなんて一こまずつ写真って撮るのです。ぽこちゃぽこちゃと撮るのです。


えーとね
写真って曲がりませんか。うっそー普通にとったらたいてい曲がるんですよ。鍛えたりしてませんか。
愚かだなあ。機械のやろーって正直なんすよ。水平って気になりますね。格子がはいったりして。
建物のへりに合わせたりしてあはははへたくそーっ。へたへた。三脚で合わせたり大変たいへん。

三脚ってね水平だしてぶれを防いで構図を決めていろいろ便利だから無理してもってく。
まあカーボンなら少しは軽いしなんてあなた。それってみなダメ出しじゃん。
うんまい写真ってそれじゃ他力本願じゃん。

それから
写真って対象を撮るものだから勝手にストリートスナップいけません人はだめと思ったほうが良い。
許可を得ようが得まいが人は強いので誰が見ても撮らされた写真になります。
そういう写真は作品とは呼ばないのでしたあははは。粗製乱造写真と呼ぶのです。あちきも昔はそうでしたあはははは。
えーとね
この際だから言っとくけどねtokyoは自称大天才写真家なのでじつはなんでもうんまいのです。
あのね一生懸命撮った写真はわかりますわかります。でもね本当はそういうのが感じられるようではまだまだなの。

すごい写真って何もないのですよすっげーとかさすがーとか何もないのです。
それが天才の写真なのです。あはははは。正解正解。

いいですか
色にだまされ形にだまされ光にだまされる、、、、、、

それがその辺の写真であり綺麗なものなのです綺麗なものは全てをだますのです。
本質はそこには何もないのです。
だから撮らされるのです綺麗なものは引きつけようとしてオーラを放つのです。
それが撮っても撮っても金太郎飴の代わり映えのしないいわゆるうんまいだけの一貫生産大量生産となるのです。

この辺がわかれば写真は本当の意味でうんまいものになるのです。

いいですか
写真はしゅこしゅこと生産するものではありませんよ。
ある日突然と
遭遇するものなのです。

このように
お写真は綺麗なものを撮り人に評価されるものでは決してありません。自分が感動するだけのものです。
自分が撮っていると勘違いをしてしまってはいけません。

あなたもわたしもシャッター押すだけの記録代理人なのです。

ハコがぽこちゃと撮るのです。

がじじじじじじじじ。

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