写真は消去法は誤り  2009.7.29


写真はじつはアートではありません。そういうジャンルも良いかも知れないが写真とは全く別物なのでここでは論じません。
何度も言っているように写真は真実を写してこそ写真であると思っています。
そう思わない人は以後読む必要はないし、当ホームページとは無縁の人なのでお引取りください。


さて、写真撮影では好むと好まざるとに関係なく作品はできてしまいます。このやっかいな事実があるがために
人々は余計な苦労や努力をするのではないかと思っています。

通常、撮影画面には頼みもしないのに予期せぬ侵入者が入り込むことが多い。

予期せぬ侵入者とは、画面に映る雑多なものをすべて指して言います。画面に映るビニール袋だったり人の頭だったり
ガードレールだったり電線だったりします。非常に困ります。
花見時、桜の下には柵があったり他のカメラマンが居たり三脚があったりします。

そういう目障りなものを消去していくがごとく撮影位置を変え、レンズを変え、妥当な作品に仕上げるのが消去法の
作品作りです。
つまりなるべく余計と感じられる被写体は画面に入れないようにするのです。
しかし、
考えて見るとこの撮り方は非常に不自然ではないでしょうか。時代劇の撮影や映画の撮影に似ているように思えます。
あるものが写ってはいけないのです。
写真はアートではありません。本来写りこみしてしまう事実を必死で隠そうとするなんて、
考えれば考えるほど嘘っぽいではありませんか。
周りはゴミだらけなのにそこだけ写らないように必死こくのです。何だかなあです。

写真家じゃなくて芸術家なら解らんでもないのですが、事実排除はある意味情けないのです。
そこまでして撮る写真はそれだけの価値しかないだろうと思うのです。

こういうことはとても難しいことで、じつはとてもハイレベルなことを要求していると理解して頂きたいのです。
普通の写真も満足に撮れない人には要求するべくもないことです。

スナップを撮っていて、シャッターの瞬間に入り込む余計なものは解るものです。それが一度しか押さないシャッターで
あってもそれは一向に構いません。写真は常に一期一会でありたいものです。

写真に写る余計なもの。それを消し去ろうとするこころは少し悲しい。撮影者が消そうとしているものは写真の染みではなく、
ほんとうは撮影者のこころの沁みなのではないでしょうか。

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