D90テスト撮影なのだ 2009.8.10〜14
■ あはははは。やっとD90のお試し撮影じゃ。 台風一過の好天気。肩の調子はイマイチじゃがとりあえず出陣なのだ。 スタンダードでも鮮やからしいが、ここはピクチャースタイルの風景・Dライティングはオートを選択、いざ街へ、、、、、、。 露出補正は-0.3、これではかなりオーバーになるので-0.7を選択する。結果は夏の日差しは強力で、それでも JPEGでがはかなりオーバーであった。 RAWで調整をすると非常に鮮やかでメリハリのついた絵となった。記憶色だからこれでいいのだ。 130枚程撮って、色が転んだのが10カットくらい。そのうち3カットくらいは補正しきれなかった。 そんなもんじゃろう、優秀だわい。もちろん通常の順光では転ぶことはないぞ。 数年前330万画素のQV-3500EXで真夏に撮り歩いたことがあったが、半数は色が転んでいたので一眼レフはさすがに凄いのだ。 600万画素のコンパクト機でも同様で何割かは転んでしまった。D90ですらそうなのだから現在のコンパクト機も似たようなものじゃろう。 もちろん、順光や通常の強さの太陽光なら色が転ぶことはないはずだ。 撮影してすぐに現像するので、仕上がりのイメージは良くわかる。そのままとは行かないがこの風景モードは充分実用になる。 色のりが良いので風景専用フイルムのような感じで使える。ただ真夏の晴天下では、ややコントラストも強く感じられるので 多少の調整は必要だろう。 ホワイトバランスは微妙にマゼンタよりだが夜の蛍光灯下では適正に見える。よって補正はしない。わしの24インチ液晶モニターは 広色域パネル採用のすぐれものなんだけど輝度をやや下げ、モニターの色温度はそれなりに設定している。 つまり厳密にキャリブレーションしておらず印刷には苦労するのだ。まあ印刷会社じゃないのでこれでいいのだ。 写真のメリハリは輪郭補正に頼っているので、厳密に言えば解像度は足りない。そういう面ではα350の方がやや自然の仕上がり と言える。ニコンは絵造りの面でも総合力で勝負できるメーカーなので一般人にはこれで良いだろう。 だがわしには解像度はもっと欲しいぞ。緻密で繊細な絵を求めるわしのような大天才写真家にはもう少し力を貸して欲しいものだ。 あはははD3Xは論外じゃ。 電気回路のあるものは、アンプと電源を徹底的に見直せば画質は相当向上するはずである。それはどこのメーカーにも言える。 よって電気回路をユニットで購入して組み込んでいるようでは改善はありえないのだ。 路地探索も結構だが、撮影は潤沢とかなかなかいかない。一眼レーフなどをぶら提げて、路地裏なぞを撮影しようものなら オバハンには相当の注意を払わねばならない。「あ〜写真撮ってるよ〜。」なんてうるさいのだ。即刻退散なのだ。 まあ皆さん周知のようにD90は国産ではない。いやD700からD3までのプロ機のみが国産である。 多少がっかりするが、国産すべてオーライというわけではない。他社製品のミラー脱落問題など、国産オンリーの製品でも トラブルが絶えないところも存在している。まあ機械であるから故障は付き物であるし、頼り切るのが間違いと言うものだ。 故障率の多いメーカーは昔から存在するが、僅か数パーセントの差である。 機械は当たり外れがあるというのがわしの実感であり、そう思って機械に対峙するのが現状だろうと思っている。 ■ α350とD90の絵はどう違うのか。 何度もD90の絵を見てからα350の絵を見てみた。まあ同じ人間がRAW現像するわけであるから、 大体同じような傾向になるのは予測どおり。結果は非常に似ている絵になっている。がしかし、ちょっと違ういやかなりちがう。 D90はシャープでくっきり。見た目のシャープさが非常に高い。対するα350はシャープさがそれほど感じられない。 つまり、絵はD90が平板でα350は奥行きを感じる。つまり立体感が出ている。フイルムのような仕上がりだ。 レンズはどちらもタムロンである。 色の鮮やかさは明らかにD90の方が抜きん出ている。これが平板さに輪を掛けているのは否めないだろう。 対するα350は鮮やかさがやや物足りない。D90に比べると地味目な色合いであるが飽きの来ない順当な仕上がりだ。 さすが記録代理人の手仕事には感服するわい。あはははは。 いまや、やや古になってきたα350であるがこの再現力には脱帽の介じゃわい。もちろん同じ記録代理人によるRAW現像 なので違いは非常に近似している。概出の作例に少し味付けをしたものがD90の絵だと思って差し支えない。 どちらかを選択することは全くできない、というのが正直な感想だ。 ■ まあカメラにはまるで関係ないが、13日レス・ポールが亡くなった。94歳である。 フェンダー社のストラトキャスターとギブソン社のレスポールモデルという、相反する二大ギターが市場を席巻しているが 両社とも英雄が消えてしまった。 非常に残念であるが、これも時の流れじゃ致し方ないのう。 楽器は見ている分には楽しくて良いけれど、めちゃくちゃ敷居が高くて簡単には弾けないのだ。 ぽこチャと押せばプロアマおぢさんおばはんの差別なく写ってくれるカメラと違い、どうにもならない機材の典型と言えよう。 デジタルカメラはもうそれこそ部品の塊だから、むちむち詰まっていて重んも〜いものほど大体が高価で解りやすい。 ところが、楽器はぱっと見ただけではなかなかその真髄まではワカラナイめんどうちくりんなモノなのである。 おカメラなんて製造が少なければ当然レアになり価格がバカ値を付けるが、大抵は古ければゴミである。 ところが、楽器というやつはボロクソになって値をあげる。エレキギターのビンテージなんか、何だかなあなのだよ。 あひゃひゃひゃ、アンプなんかいまだに真空管だ。あはははびょ〜んびょ〜んのスプリングもあるぞい。 楽器やアンプはレトロを追いかけるのだのう。 昔はほんとアンプが怖かった。真空管ってやつは熱いだけじゃなくってエレキテルのびりびりの恐怖がもろにあるのじゃ。 まあ実際に感電して死んでる人もいるしのう。 あははは、また脱線だのう。 |