我輩はカメラである、出番はまだない 2010.8.28
世の中で、人間並みに扱われる機械はそれほど多くはない。 道具ならなおさらだ。 その中にあって腕時計とカメラだけは、宝石ほどではないにしろ別格に扱われている。 永年使われて、役目を終えたからといって無下に放り出されることはない。 よしんば動かなくなっても、ゴミ箱に捨てられることはない。 そのまま、来たる時が来るまで棲家を追われることはないだろう。 いつしか病院に連れて行かれ、そこで臨終を宣言されたにしてもカメラは捨てられることはない。 冷たくなった筐体は、いつしか来たる日までジャンクの籠で過ごすのだ。 籠から出された筐体は、再び新しい主の下へと旅立つだろう。 そこで、彼はカメラという個体から部品へと姿を変えて一生を終える。 長い、本当に長い一生が幕を下ろすのだ。 カメラは大切にケースや鞄に入れられて、家人と共に過ごす。 ある時はガラスケースの中で、そしてある時はカメラ店のショーケースの中で変らぬ生活を送るだろう。 数十年休むことなく働き続けて、家人同様定年を迎えるだろう。 そしてご苦労様と、ジュラルミンのケース等に大切に仕舞い込まれるのだ。 再びケースの蓋が開き、長い休息から目が覚めた時彼は変らず仕事をするだろう。 縁あって家族になるのは、カメラも人も変らない。 そして、旅立つのも変らない。 カメラ店のショーケースで主を待つ彼らは、世を流離う人々と少しも変ることはない。 熱心に君を見つめている彼は、良い主になることだろう。 君の見ていない知らない町に、きっと連れ出すことだろう。 カメラは他の道具では出来ないことをやり遂げる。 それは、主を家人から写真家へ変える魔法を持っているからに他ならない。 そして、決して裏切ることはない。 そう、君はとうに知っている。 写真を撮る日が来ても来なくても、それが定めだと言うことを。 君は人間の心を知ってしまった。 君は主と共に生きるだろう。 |