気が付けば、日々に疎し  2010.8.28





気が付けば、著名な写真家田中長徳氏とさほど違わない年になっていた。まさに同世代の人間なのだ。
勿論氏のように当時は写真を志したことはなく、写真を始めた時期が同じ頃というだけである。
まあ、田舎の我が家ではカメラはカメラでも放射線カメラだったから、写真や現像には切っても切れない縁があったことは確かだ。
写真と未だに縁が切れないのは、そんなことが真底にあるのかも知れない。

カメラは最初に家人が使っていた物に左右されることが多いが、tokyoはオリンパスのペンFだった。
友人が持っていたのを暫く借りて撮っていたことがある。
それは当然返却したが、その後使用したのは家人が持つアサヒペンタックスSPであった。
ニコンが嫌いとかそういうことでもなく価格の面でもなく、単に小さくて軽いということだった。露出計が内臓されていて、当時としてはイージーだったのも要因らしい。
よってニコンを使い出したのは僅かに20年でしかない。
つまり、20年以上前はペンタックスでありヤシカであり、コニカであった。だからFやらF2やらF3は持ち合わせていない、というより高すぎて買えなかったのが正直なのだろう。カメラ以外のことの出費が多くを占めていたのが、第一の理由でもある。

そんな時代を思うに、世の中の変化は遅いようで速い。一時はプリントをする商売でもしようかと考えたりもしたが、あれよあれよと言う間に時代はデジタルに移行してしまった。鈍牛喜ぶべしである。写真屋をやらなくて良かったと思っている。しかし、お陰でフイルムの現像から、カラープリントまでほぼ完璧にできるノウハウは身に付いた。そんな経験から、フイルムにはとことん拘るようになってしまったようだ。ハコ(写真機ね)は何でも良かったのである。
自分で現像するようになると、もうミニラボには頼めない。写真は撮った者にしかわからない、それが身に沁みてわかるようになったのだ。
そんなこんなだから、カメラ雑誌をみてもすぐに現像やプリントを評価してしまう。自分の現像やプリントは、何が多くて何が足りないのかがわかっていろから良いのだが、他人の場合はとても気になるのだ。それがプロだったりしたら、がっかりとしてしまうことも多いのだ。

いやいやそんなことはどうでも良かった。ニコンのカメラであった。
ニコンの一眼レフのあの鋭く尖ったペンタ部をもつF、まさに硬派な報道用のカメラというイメージでその印象は強烈だった。
そして露出計すらなく、フイルムは裏蓋を外して行う。この面倒さにはついていけなかっただろうと思う。
これはかのライカや初期のレンジファインダーカメラにある、敷居のようなものだと思っている。この不便さを乗り越える気概がなければ所有者にはなれないのだ。
残念ながら、そんな気力は今もってない。
カメラは機械であると同時に道具であるのだから、時代・世代の新しいものほど機械としては優れる。写真家はコレクターではない。
ニコンF2に到ってはフォトミックがいわゆる標準となって、カメラとしてはスマートさに欠けるように思うのはtokyoだけではないであろう。
そんな先輩諸氏を押しのけるように出てきたのが、F3である。電子製脚カメラだろうと誹謗する向きも多いが、ニコンのFには変わりがない。
そして、マニュアルカメラ最後のFである。これは外せないであろう。

F4が発売されても、F3は売れたらしい。最近、F3のメーカー修理が5年間延長のニュースが伝えられた。これは大変なことである。
確実にフイルムの時代は終焉に向かっている。これはもう止められないだろう。そういう意味でフイルムカメラの生きる時間は残り少ないと言って良い。
不便な物と良い物は違う。良いものでも不便なものはいくらでもある。また、便利なものが良いものとは限らない。

そんな不便で使い難いカメラが今はとても懐かしい。失った時間を埋めることができるのならば、それは彼らに託したい。
過去がなければ、現在は存在しない。
それはカメラの歩みでもあり、人生の歩みでもある。




気が付けば、日々に疎し


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