写真家 2010.3.22


いやはや、カメラばっかり弄っていると写真のことをすっかり忘れてしまう。

またいつものテーマじゃ。
写真の難しさは、写真の出来栄えばかりではない。
常に写真ありきなのだ。そうでなければ写真家ではない。少なくともわしはそう定義している。
藝術というものは試験もなければ免許証もない。

それじゃだれでも写真家なのかというと、そんなに甘くはない。はっきりした」線引きがされているのじゃ。
要はフツーに写真家と言うと、写真で生計をたてている人を言う。まあこれは非常に分かりやすい。
それでは素人はどうなのかと言うと、それも写真家という。ややこしいのだ。
じつは線引きなど出来ていないことに気が付くだろう。
写真=仕事が売れれば、つまりお金になればいわゆる写真家と呼ばれる。まれにもとい一般的にプロと呼ばれるのだ。
これも分かりやすい。

つまり藝術が人の評価により値が付いたり付かなかったりするように、人の評価によって写真家として認められたり
認められなかったりするのじゃ。こういうのを藝術の多面性というのだな。
わしは経験から技量から芸術性から何から、何まで持ち合わせている大天才なのじゃが誰も認めてくれんぞよ。
あやひゃひゃひゃひゃ国家の損失じゃわい。そんでぽちぽちWEBでアピールしとるのじゃ。違ったか。

ともかく、桜の時期になった。これは困りものだ。あの梅についで小難しい桜を撮らねばならないのだ。
桜は一年に一度しか咲かないから、写真家にとっては大変なのだ。
撮りはぐれると一年待たなければならない。この事実は非常に危ないのだ。
桜の撮影は難しい。いやほんとに難しいのだ。素人の勤め人はプロの何倍も大変だ。ほれ仕事があるじゃろ。
桜は待ってはくれんのじゃ。遅れてきた月光仮面などなんぼでもあるのじゃ。

わしの尊敬する大写真家は人込みを嫌い野に分け入る。確かに桜の周りは人だらけ。これは難しい桜の撮影を余計に
難しくしてしまう困りものでしかない。わしは遠方に出かける余裕もお金もないから、敢えて人込みに出かける。
先生が富士山をあまり撮らんのと同じ理由じゃ。優れた桜の写真は先生が撮るべきなのだ。
それで、路地裏を徘徊する写真俳人は人込みに塗れるのじゃ。

わしの写真はプロ写真家は撮らない写真であり、同時に撮れない写真でもあるのじゃ。写真の優劣ではない。
それが正しい棲み分けというものじゃ。
諸君も果敢に桜の撮影に挑戦して貰いたい。

あははははは。相当に難しいぞ。





つづくのだ。

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