東京写真オーディオスペシャル
1964年~1968年のオーディオの痕跡を探す
1965年と言えば、今から51年前のことである。さすがに痕跡をたどるのはは難しい。 | |||||
※ 記事中のイラストは筆者作成です、確かなものではない事をお断りしておきます。 | |||||
1965年~1966年 | |||||
最初のスピカーユニットは、パイオニアの16センチシングルコーン、フルレンジスピーカーPIM-16A。 箱がないので本箱に板を打ち付けて製作。 1965年1700円で購入とある。ちなみに、一か月の小遣いは 2000円であった。 1966年、スピカーはグレードアップして20センチのPIM-20Aとなる。価格は2900円。 記録によると、ナショナルの20PX-85も1966年に買っている。 スピカーは下段かも知れないし、中段かも知れない。 容量的には少々小さく、低音は出なかった。 |
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パイオニア PIM-16A 1965年購入 | パイオニア PIM-20A 1966年購入 | ||||
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写真データは「オーディオの足跡」様から引用 | 写真データは「オーディオの足跡」様から引用 | ||||
ナショナル 20PX85 | |||||
ずっと東京で買ったと思っていたが、1966年購入とある。 実はパイオニアのPIM-16AもPIM-20Aも東京で使った記憶はないし、見てもいない。それはこのナショナルの20PX85もそうなのだ。 実は、田舎の私の使っていた部屋(二階)は、私が大学の時に一階に来客用の駐車場を作るために潰したのである。 東京での最初のスピカーユニットは、フォスターの20センチであることが分かっている。 後で調べたら、確かに買っていた。1970年6月に購入している。 初代は田舎で、知らないうちに処分されたのだ・・・。 |
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写真データは「オーディオの足跡」様から引用 | |||||
この20PX85は、父親に怒鳴られたスピカーである。一階は仕事場だったのだが、音が筒抜けに響いていたのだ。 父親が鬼のように真っ赤になって怒鳴り込んできた記憶が懐かしい・・・。 |
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ナショナル 6BM8PP (複合真空管) | |||||
1965年購入。 どうやら真空管を買っている。三極・五極複合管である。 記録に1500円とある。 恐らくはナショナルの真空管式ラジオの球。 当時使用のラジオは5球スーパーUF-785。 友人がアマチュア無線をやっており、自分もやりたかったが 無理なので断念。 |
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ナショナル UF-785 | (イラストは正確ではありません) | ||||
1950年代~1967年まで使用(自己使用は3年間) 1950年代の真空管式ラジオ。中波専用。 地元の放送局ではなく、東京の放送局を聴いていた。 日中は電波が届かず、夕方から・・・。 雑音と電波の揺らぎの中、最新の曲にかじりついていた。 ラジオの中を見て、あまりのガラガラに驚いたことがある。 我が家にステレオと言うのはこの時期には存在せず、 貴重な情報源であった。 非常に大きな箱である。 |
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前面 | 背面 | ||||
資料写真「日本ラジオ博物館」様から引用 |
資料写真「日本ラジオ博物館」様から引用 | ||||
この時代、疑問に思っていたのはスピカーを何で鳴らしていたのかと言うこと。トランジスターラジオはあったと思うし、 小型のオープンリールテープレコーダーもあった。レコードは17センチの時代、買うのはドーナツ盤ばかりだから小型のレコードプレーヤーはあったはずだ。 管球式の大型ラジオもあったけど、自分が使ったかは定かでない。第一親の物なのに、自分が真空管を買うなぞ考えられない・・・。真空管式のトランシーバーを組み立てた記憶はあるが・・・。 アンプは作っていないと思う。 |
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ソニー TC-211 | (イラストは正確ではありません) | ||||
1964年~1967年当時使用。 真空管式ポータブルテープレコーダーTC-211。 発売時価格21500円。 赤と白のツートーンカラー、プラスチックケース。 前面モニタースピカー、出力1.5W。マイク付属。 5号リールまでの物だ。今は亡き父母・祖父母、親戚家族の50年前の声が今もテープに残っている。その後録音はカセットテープにダビングして残している。3号リール自体は今はない。 現在の貨幣価値からするとおよそ8万円位、高価であった。 記録は一生もの、それを考えると決して高かったとは言えない。 20数年後この録音を聞いた親戚の人は、感激のあまり涙をこぼした・・・。 お金には代えられない、それが記録である。 |
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右の赤いボタンを押し下げながらレバーを回して録音する。ソニーの文字の下にある真空管式インジケーターが、録音の目安となる。 マイクはバスガイドが持つような台形角型の物が付属。5号テープは高いし、蓋が閉まらないので3号テープを良く使用した。 |
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このテープレコーダー以後はカセットテープレコーダーの時代であり、多くはオープンリールテープにダビングして保存した。 その後再度カセットテープに再ダビングし直して保存している。 |
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ソニー ソリッドステート11 | |||||
1965年~1967年まで使用のトランジスターラジオ。 深夜放送の友である。 昭和42年(1967年)のオールナイトニッポンは毎日聴いていた。 ラジオを聞きながら、いつしか机で寝ていることが多かった。 1968年ラジカセが発売されてからは、ラジオは持ち歩き用に より小さい物を買うことになり、 このようなラジオ専用機はは買うことはなくなった。 (イラストのソニーのロゴは少し違います、ごめんなさい) |
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ナショナル EAH-65 | |||||
1966年12月購入のナショナルヘッドホン。 3950円で購入。 イヤーパッドが硬くなり、 1971年ソニーのヘッドホンを買うまで使用。 |
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写真データは「オーディオの足跡」様から引用 | |||||
1967年 | |||||
1967年は高校三年、大学受験のために、機械弄りは制限されたと思う。 トランジスターラジオで、深夜番組を聴くのが日常であった。 |
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ソニー ICR-100 | (イラストは正確ではありません) | ||||
1967年発売。 超小型ICラジオ。 これは自分が買ったのか、 友人が持っていたのか定かではない。 しかし、確かにあったから、買ったのだろう。 深夜放送等は、卓上型のトランジスターラジオで聞いていた。 図ではパンチングメタルの穴が再現されていませんが、 スピーカー部分には細かな穴が開いています。 |
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1968年は東京時代である。 この時代、1968年が本格的にオーディオに走った始めである。この年にはレコードプレーヤーを購入している。 |
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1968年 | |||||
スプレンダー SD-300 | |||||
1968年5月購入 画像もないし、メーカーの痕跡すら見当たらない。 本体・蓋共に木製のレコードプレーヤーである。 メーカーはスプレンダー、型番はSD-300とある。 価格は18800円。1968年5月購入。 |
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フォスター EF-203(BF-203) | |||||
1968年5月購入。 フォスターの20センチダブルコーンスピカーユニット。 発売時価格5950円。 旧型番はBF-203。 |
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写真データは「オーディオの足跡」様から引用 | |||||
1968年、ここでも大きな疑問が・・・。レコードプレーヤー、ヘッドホン、スピカーユニットと・・・。これだけでは音は出ない。 アンプはどうしたのだろう。ラジオはどうしたのだろう。1968年は記録がないのだ。 トーンアームやカートリッジなど、翌年1969年に多くを購入している。ということは、スプレンダーのレコードプレーヤーはアームと カートリッジ付きの可能性がある。箱は同じなので、交換可能なプレーヤーだったのだろう。 1969年4月には、山水のアンプを買っているが、その前に何か買っているのだろうか。 謎である。 |
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