イージーリスニングとその時代
イージーリスニングはBGMの範疇にも分けられているようだ。
気軽に聞ける音楽として、クラシックやロック、ポピュラーとは別に分けられている。
売られているCDも非常に少なく、現代の若者は知らない人も多い。
イージーリスニングとその時代 パーシーフェイスやポールモーリアは馴染が多いかも知れない。 ポールモーリアは20年以上にわたり来日して公演しているし、パーシーフェイスは楽曲が多く、喫茶店などでかかることも多いだろう。 実はパーシーフェイスのシンシアのワルツという曲が好きで、CDを随分探したんだけど収録されているCDは1枚だけだった。 、当然ながら昔のレーベル(CBSソニー)ではなくて、やっと買ったそのCDにあるシンシアのワルツは 残念な音楽だった。レコードで、郷愁をかなでるイングリッシュホーンを吹いてるのは ミッチーミラーなんだけど、あの素晴らしい音と演奏は再録のCDでは再現できてないような感じがする・・・。 そんな違いは色々あるみたい。ポールモーリアも当初は自身がピアノを弾いていたけれど、 他の人が弾くようになったらがっかり・・・。音は綺麗ならいいってもんじゃないと、つくづくに思った。 涙のトッカータ、あのピアノはポールモーリアじゃないと出せない響き、優しさがある。 綺麗に弾いただけでは絶対にダメな曲のひとつ。 ポールモーリアは楽団創設以前フランクプールセルのピアニストをしていた時期がある。 入団時の初見演奏テストにフランクプールセルから渡された楽譜が、涙のトッカータだった。 ポールモーリアにとってもとても意味のある大切な曲だったのだ。 1965年ポールモーリアグランドオーケストラが誕生。涙のトッカータを演奏するにあたり、作曲者のガストンローランを訪ね許諾をえて1973年発表となる。 もしモーリアとプールセルの出会いが無ければ、モーリアがガストンを訪ねなければ、 あの「涙のトッカータ」は世に広まることはなかったのである。 良く知られたことだが、ポールモーリアのCDは全て再録音盤であり、通常販売されているものは オリジナル演奏盤ではない。 これらの曲が流行った時代は今から数十年も前のことになる。1960年~1980年のことなのだ。 CDが開発されたのは1982年だから、ほとんどはレコードの時代の物なのだ。 CDコーナーにないのも当然。レコードは廃盤ならぬ廃業。CDは廃盤なのである。 そして、ミュージシャンの高齢化と死去である。多くのオーケストラは存続せず消滅。存続しても、もはや当時の演奏者も スコアもないのが現状なのだ。 1960年~1980年に若者だった人たち、彼らの時代・・・それがイージーリスニングの時代なのである。 クラシック同様、消えることのない多くの名曲が残されている。 |
イージーリスニング大御所とヒット曲 マントバーニ 1905-1980 (シャルメーヌ1951・グリーンスリーブス1952) パーシーフェイス 1908-1976 (夏の日の恋1960・ムーランルージュの歌1953) フランクプールセル 1913-2000 (ミスターロンリー1967・アドロ1972) ヘンリーマンシーニ 1924-1994 (酒とバラの日々1962・ムーンリバー1961・ひまわり1972) ポールモーリア 1925-2006 (恋は水色1968・蒼いノクターン1966) イージーリスニングは彼らの功績である。マントバーニ、パーシーフェイスは全てレコード時代であり、 フランクプールセル、マンシーニ、モーリアはCD過渡期に活躍している。 カラべリ・グランド・オーケストラ 1930~ (ジェット・ストリーム) レーモンルフェーブル・オーケストラ 1929-2008 (シバの女王1967・コンドルは飛んで行く) ビリーボーン・オーケストラ 1919-1991 (並路はるかに1957・星を求めて1960・峠の幌馬車1961) フランク・チャックスフィールド・オーケストラ 1914-1995 (引き潮1954) ジェームスラスト・オーケストラ 1929-2015 アルフレッド・ハウゼ・オーケストラ 1921-2005 (小さな喫茶店・ジェラシー) 101ストリングス・オーケストラ 1957-1978他 (※スタジオレコーディングオーケストラ) フランシス・レイ・オーケストラ 1932~ (白い恋人たち1968・ある愛の詩1971) 代表的なイージーリスニングのオーケストラはこんな所。 今時の若い世代には馴染のない曲かも知れないが、50代以降ならば懐かしく思うのではないだろうか。 1960年代1980年代は、真空管からトランジスターへ、シングルアンプからマルチアンプへ、 オープンリールからカセットへ、レコードからCDへ、ステレオからサラウンドへと 目まぐるしく変わってきた時代であった。 正にオーディオ=音楽、の全盛期であったのだ。 そして目まぐるしく移ろう時代に、イージーリスニングは癒しの音楽として浸透して行ったのである。 |